[2017.8.20]イ・ウンギョン  牧師 「 主よりゆたかな恵みをいただきながら歩むこと 」

  「 主よりゆたかな恵みをいただきながら歩むこと 」

 

聖書には多くの人々が記載されています。主の心に合致したダビデがいれば、主と直接対面して会話をした柔和と評価されたモーセもいます。そして義人であり、当時の完全な者と見なされたノアもいます。むろん信仰の先祖であるアブラハムもいます。また、逆に生まれなければ良かったイスカリオテ・ユダがいます。

今日の御言葉にはダニエルが登場します。主は彼を恵みを多く受けた人だと言っています。恵みを多く受けたと言うことはダニエルが主に認められたと言うことです。日本語聖書には愛されたと表現しています。それでは主の大きい恵みは具体的にダニエルにどのように訪れたのでしょう。

ダニエルはバビロン捕囚生活の中で自分とイスラエルの罪を悟り、切に祈りました。彼は民族の艱難と苦痛の直接原因が主の命令に対する不従順の罪であるのに関わらず、今も反逆的な生き方をしている民を見ながら非常にかわいそうに思いをしました。母国に戻ったユダヤ人達の聖殿再建事業が敵の妨げで非常に混乱していることを知り、もっと悲しみながら断食して祈りをしました。その時、ダニエルは主が下さる幻を見ます。ダニエルは主が見せて下さった幻のせいで恐れて驚いて気を失うところでした。その時、主が彼を撫でて下さいました。

ダニエルを撫でて下さった手は主が送って下さったみ使いの手です。しかし、それは主の手です。主の手!主は強い手と開いた腕を持って主の民を守って導いて下さいました。旧約聖書と新約聖書は一つのように主の手を全能で強い手で表現しています。その手がダニエルを撫でて下さいました。その手こそ、自分自身に恵みを注いで下さる手であることを悟ります。

 撫でて下さる理由は慰めるためです。力を下さるためです。主が共にいらっしゃる事を教えて下さるためです。主は我らの弱いことを見て見ぬふりをしません。

今日、本文に続く御言葉にはダニエルを撫でて下さっただけではなく彼を立たせて下さいました。

一つの手が私に触れ、私のひざと手をゆさぶった。(10)

死んだ人のように下にひれ伏していたダニエルをみ使いが立たせて下さいます。

(※、日本語聖書にはひざと手をゆさぶると記載されていますが、韓国語聖書には立たせたと記載しています。)

‘立たせる’と言う言葉は使命を与えるためです。み使いはダニエルに主の御言葉を伝えます。彼がするべき事に対して教えて下さいます。

主が我らを立たせる時には我らに使命を与えるためです。回復するように助けてくださり、我らが我らの弱さに倒れた時にもそれが最後ではないことを、我らは一人ではないことを教えて下さいます。それで立たせて下さいます。我らにはするべき事があります。使命を果たすまで主は我らと共にし、力を与えて下さいます。これが主が下さる恵みであり、慈しみであります。

そして勇気を下さいます。

は私に言った。「恐れるなダニエルあなたが心を定めて悟ろうとしあなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日からあなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのはあなたのことばのためだ(12)

まず、恐れないことです。我らの人生には恐れる状況が多いです。しかし、主は我らに常におっしゃっています。‘恐れるな!’主は我らの祈りを聞いており、また我らに最も良い物を下さり、最も良い道へ導いて下さいます。

そして、彼の祈りが応答されたと言います。主はダニエルが祈った初日に既に応答したと言います。自分の祈りに対して応答が遅くて焦ったり、不信をもったり、恨みを持たないで下さい。我らが祈りを始めた瞬間から主は我らの祈りをお聞きし、応答して下さいます。

ダニエルが主に大きい恵みを与えられた秘訣は何でしょう。彼は主の前でへりくだろうと決めたと言います。「へりくだる」は自分を低くすることです。ダニエルは主の前で常にへりくだろうと決めて生きた人です。ダニエルは一生主の御言葉に従順して生きることに努力しました。それで祈ることで死ぬ陰謀に巻き込まれた状況でも祈り続けます。彼は主のみ旨に従って生きると心に決めたから命を掛けて祈ったのです。祈る人は主の前でへりくだる人です。主の力でなければ自分に与えられた全てを絶えることが出来ないことを誰よりも良く分かっています。

謙遜に自分を低くする時、主の恵みが注がれます。主に大きい恵みを与えられた人、主に愛された人ダニエル、彼が謙遜な人です。

箴言3:34節,ヤコブの手紙4:6節にへりくだる者に恵みをお授けになる。’と言います。

今、我らの人生を振り向いて見ましょう。主の慰めを、主が下さる勇気を望んではいませんか。主に使われる人生になりたいと思いませんか。我ら皆がダニエルのように主に大きく恵みを受けたくありませんか。そのためには主の前でへりくだらなければなりません。謙遜になり、自分を低くしなければなりません。

主は今でも生きておられ、我らの人生を見守っています。その主の驚くべき理の中で大きい恵みを受ける人生になりますように祈ります。主に大きく恵みを受ける皆さんの人生を通して主に栄光を捧げる事になり、多くの人々にも喜びと祝福になりますように祈ります。

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